アドルバート・ワフリング
アドルバート・ワフリング (Adalbert Waffling) は、魔法理論家です[1]。ホグワーツの教科書魔法論の著者であり[2]、「ワッフリングの魔法基本法則」の定式者として知られます[3]。
魔法理論家
アルバス・ダンブルドアの死後、日刊予言者新聞に載ったエルファイアス・ドージの追悼文に、ワフリングの名が挙がります。学生時代のダンブルドアが定期的に文通していた当代の名士の一人として、錬金術師ニコラス・フラメル、歴史家バチルダ・バグショットと並べられました[1:1]。
アルバスはまもなく、その時代の有名な魔法使いたちと定期的に手紙のやり取りをするようになった。例を挙げれば、著名な錬金術師のニコラス・フラメル、歴史家として知られるバチルダ・バグショット、魔法理論家のアドルバート・ワフリングなどだ。
ワッフリングの魔法基本法則
『吟遊詩人ビードルの物語』に収められた「毛だらけ心臓の魔法戦士」へのダンブルドアの解説で、この物語の主人公が自らの心臓を切り離した行為について、ワフリングの定めた魔法基本法則の第一法則に触れるものだと述べられています[3:1]。
その行為は、次に述べる、アダルバート・ワッフリングの魔法基本法則の第一法則を侵すものである。
最も深い神秘――命の源、自己の精髄――をもてあそぶ者は、通常では考えられぬ危険な結果を覚悟すべし
ホグワーツの教科書の著者
1991年にハリー・ポッターが受け取ったホグワーツ魔法魔術学校の入学許可証には、必要な物品の一覧が同封されていました。その「教科書」の欄に、『魔法論』が著者名とともに挙げられています[2:2]。
「魔法論」 アドルバート・ワフリング著
『魔法論』の内容は原作では語られていません。
生没年と追悼文の食い違い
蛙チョコレートのカードとポッターモアの年表は、ワフリングの生没年を1899年‐1981年とし、「有名な魔法理論家」と紹介しています[4:2][5:2]。
いっぽう、ドージの追悼文はダンブルドアが学生時代にワフリングと文通していたと述べます[1:3]。ポッターモアの年表によればダンブルドアの生没年は1881年‐1997年で、ここから在学期間は1892年ごろから1899年ごろにあたります[5:3]。1899年生まれのワフリングが、在学中のダンブルドアと文通することはできません。
登場・言及箇所
- 『ハリー・ポッターと賢者の石』
- 第5章「ダイアゴン横丁」
- 『ハリー・ポッターと死の秘宝』
- 第2章「追悼」
- 『吟遊詩人ビードルの物語』「毛だらけ心臓の魔法戦士」
- 蛙チョコレートのカード(EA版 24番)
- ポッターモア「Timeline of the Wizarding World」